おふとん文庫

エモを探しています。

幸せという名の強迫観念

昭和の終わりに産まれ、
早30年が過ぎた。
昭和どころか、気づけばなんと
平成が終わろうとしている。

5月までに死んでしまう可能性もあるが、
このままいけば2つの年号を駆け抜けた事になる。
流石にそのくらい生きれば、
そりゃあもう色々あった。

確かに色々あったはずなのに、それを
「色々」としか表現できない。

何故なら私は、非常に忘れっぽい。
びっくりするくらい忘れていく。
中学高校の時のエピソードなんて
さっぱり思い出せない。
唯一思い出せるのは、
寺山修司の詩集を読みながら
「涎は人間の作ることの出来る
1番小さな海です」
と友達とふざけあった事くらい。

この忘れっぽい性格のせいで、
傷付けてしまった人もいる気がする。
だとしたらごめんなさいとは思うけれど、
開き直ってしまっている部分もある。

小学生の時、図書館で痴漢されて、
親へ言いつける前にそのことを忘れてしまうほどに脳の機能が低いのである。
もうしょうがないのよ。

そんな私でも、忘れられない「色々」もある。

まぁ割とありがちではあるけれど、
小学5年生の夏休み初日、
ラジオ体操をする為に早起きすると
母がいなかった。
昨日から帰ってないという。
その後母は帰ってきたが、
仲がいいと思っていた両親が聞いたことも無い声で怒鳴り合いを初め、
母に連れられ家を出ることになった。

当然離婚し、
母との生活が始まったが
度々父親が金の無心に現れ、
その都度大喧嘩を見る羽目になる。
思えばXデーから高校卒業までは
そんな日々だった。

父の事も母の事も好きだった。
私にまでお金を貸してくれと言ってくる父親を見るのも、
そんな父親を激しく罵る母親を見るのも
耐えられなかった。
嫌いになりたくなかったから、私は逃げた。
取り敢えず家族の問題から目を背けたかった。
あー、もう思い出したくないやめておこう。

大学進学後、いつのまにか父は死んでいた。
一人で死なせ、お墓もわからない状況なのは
本当に申し訳ない。後悔してももう遅い。

父が死んだことにより、
母は憑き物が落ちたように
父への嫌悪感を示さなくなった。

そして今では母と、あの頃はこうだったよねーと、話したりなんかして生きている。

女手一つで育ててもらって、
母には本当に感謝している。
結婚が決まり、とても喜んでくれている。

これだけ見ると、
昔のことは水に流して、トラウマも乗り越えましたーって顔して生きている。

でも本当は、こんな夜中に一人ブログ書くくらいには今でもゴリゴリに引きずっている。

きっと母は、苦労かけた一人娘が結婚し、
新しい家庭で幸せになって欲しいと
心から願っているだろう。

だから私は幸せにならなくてはいけないのだ。
私が不幸になると、母が悲しむ。
私が不幸になると、主人が責められる。

では万が一不幸になってしまった場合は?
それでも私は幸せでいなくてはいけない。
私が不幸になると、
私の大事な人が不幸になってしまう。

それならきっとこの先
私は一生幸せでしょう。